以上が、情報に対してぼくたちのなかに芽生えつつある三つの新しい感覚です。
言い換えれば、我々は情報に対してこの三つの態度を取りはじめているということです。
【探 索】 = 探す ⇒access
【編 集】 = 手を加える ⇒process
【共 有】 = 渡す ⇒across
図のように、三者は独立排他的な関係ではなく、「探したものに→手を加えて→渡す」といった円環的に連鎖する関係にあります。これが正のスパイラル回転をはじめると、エネルギーを内に蓄えながら大きく育っていくわけですね。それがハリケーンクラスにまでなると、「電車男」のような事態が起こる。
ちなみに、マスメディアに対して我々がとり得る態度は、基本的には「選択」だけです。降ってくる情報をキャッチするか否か、という階層と、キャッチした情報を受け入れるか否か、という階層の二段階で選択するわけです。
もちろん、受け入れた情報をどう解釈し、自分のなかでどう消化するか、という問題は別の話としてありますよ。後で触れることになると思いますが、人は同じ情報を受け取ってもそこから抽出する意味は必ずしも同一ではありません。これについてはマスメディアもインターネットも条件は同じです。
しかし、その手前の段階までで我々にできることが、マスメディアの時代と現在では大きく違っているわけですね。
情報はいつも目の前に見えていて、いつまでも柔らかく、次々とつながっていくもの。
この新しい感覚が、情報に対する態度を変えつつあるのです。