この感性がLinuxやWikipediaを支えているわけですね。情報とは必ずしも特定の主体がつくるものではなく、コミュニティのメンバーがみんなでつくっていくもの、という意識を育んだのは、情報をLiquidなものと見なす新しい情報観です。
Wikipediaは、はじめから素材になることを前提につくられている、いつもアップデートという形で情報が変化している、という特質だけでなく、「情報の発信者という概念がない」という驚くべき構造を備えています。
そこには情報のオーナー≠烽「なければ、生産者≠烽「ません。誰もが指一本でユーザーから生産側に廻れるわけで、こうなると、もはや情報の「送り手」「受け手」という区分自体が意味をもたない。もちろん著作権という概念も吹っ飛びます。
情報が誰に帰属しているのかわからない、というか……みんなのもの。この感覚がジワジワとぼくたちのなかに浸透しつつあるわけです。
だからクリエイティブ・コモンズなどという概念が生まれる。クリエイティブ・コモンズとは、著作権の完全保持と完全放棄の中間を選択したいと考える人のための、著作権運用の新しい考え方です。一言で言えば、ある条件さえ守ってくれればどんどん使ってくれていいですよ、という立場ですね。たとえば、著作権者を表示すれば利用していい、非営利なら利用していい、改変しなければ使用していいなど、4つの条件を組合わせることで、一定の条件下でのコンテンツ利用を認めます。
まさにクリエイティブ・コモンズという名前が示すように、そこには情報とは共有されるべきものであり、共通の資源であるとの思想が流れているわけですが、これもまた情報がLiquidなものになったからこそ生まれた考え方です。
つまり、先ほどの話と合わせていえば、ぼくたちは「情報は素材であって、みんなのもの」という感覚をもちはじめたわけですね。言い換えれば「情報とは常に変形プロセスの途上にあり、進化の只中にあるもの」であり、「情報には終わりがない」「情報は完成しない」とイメージしはじめている。
完成品としてパッケージごと輸送していた「マスメディアの時代」とはエラい違いです。