では話を戻して、情報に対してぼくたちのなかに芽生えつつある三つの新しい感覚について考えていきましょう。
第一のポイントは「情報は手を伸ばせば届くところにある」という新しい状況がつくり出す「情報は与えられるものではなく、獲りに行くものだ」という感覚です。
「マスメディアの時代」には、末端にいるぼくたちは、中央から送り出されてくる情報を受け取るだけでした。ぼくたちにできることといえば、なにを受け取るかを決めることと、受け取った情報を自分の中でどう処理するかを決めることだけ。
すなわち、情報に対する大衆の基本動作は「選択」だったわけですね。
しかも、テレビ番組を見たり雑誌を買ったりして自分が選択した情報はストレスなく入ってくるけれど、選択しなかった情報は自分の脇を素通り過ぎてしまうし、いちど素通りしたものを後から掴むことはとても難しい。
マスメディアが配信する情報は生ものみたいなもので、預金したり引き出したりすることは想定されていません。ぼくたちにできることといえば、せいぜい新聞を切り抜いたり、雑誌のバックナンバーを取り寄せたりすることくらいのものでした。
しかし、デジタル情報は容易に貯蔵できるので、インターネットの世界では情報は雲散霧消せずにどんどん溜まっていきます。次々と生け簀の中に足されていくようなものだから、ぼくたちは必要なときに必要な魚を探して網ですくえばいい。
しかも発信された情報と時間的にシンクロする必要がない。ラジオはリアルタイムで聴かなければならないけれど、届いたメールをいつ開けるかはこちらにフリーハンドがあるし、ネットにアップされた情報はいつでも好きなときに引き出すことが可能です。
情報は生け簀の中で泳いでいるから、いつでも手を伸ばせば届く。降ってくるものを「受け止める」だけではなく、こちらから掴みに行けばいい。
つまり、情報とは「選択」するものから「探索」したり「捕獲」したりする対象になったわけですね。これが第一のポイントです。