マスメディアがもつ、この中央集権的な情報交通モデルの特徴は、たとえば
・情報はプロだけがつくる ・情報は塊になって届く ・情報は片道しか走らない
などがあります。
第一に、「中心」にあって情報を生産できるのはその道のプロだけ。新聞記事を書いたりテレビ番組を制作できるのはプロだけです。金の取れるコンテンツをつくらねばならない以上、マスメディアのコンテンツ生産に素人の出る幕はありません。
だから情報の「送り手」と「受け手」が立場としてはっきりと別れていた。「中心にいるプロ」が「末端の素人」に配信するという構図ですね。
そしてこのとき、情報はひとつの塊になって届けられます。新聞は情報を定型のフォーマットにパッケージして宅配し、テレビも番組というパッケージに包んで送り出す。ユーザーである「末端」はパッケージされた情報を箱ごと受け取ります。
ユーザーは受け取った箱を開いて消費するだけで―もちろん、開いただけで見ずに捨てたり、見たけれど無視して流す、ということもありますが―、それを箱ごとどこかに転送したり、中身を詰め替えて誰かに送ったりすることはありません。要するに、情報は片道切符で届くわけですね。
すべては「一対多」「一方向」という構造に由来するものですが、これに対して「多対多」「マルチディレクション」を前提につくられたインターネットの世界観はまったく逆です。
「多対多」を結ぶ「マルチディレクション」の回路では、中心と末端がないから、送り手と受け手の区別がないし、素人と玄人の立場も曖昧です。
方向性がないということは、片道切符だけでなく周遊券や乗り放題もあるということ。誰もが気軽にキャリヤーを使えるから、必ずしも塊にしなくても、必要な分だけ少しずつ送ったり、必要に応じて中身をアレンジして送ったりできる。
インターネットがもつこうした構造特性が、ぼくたちの情報観をいま大きく揺さぶっているのです。