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コラム

空間メディア入門

3-03「一対多」と「多対多」

2012.10.8

 これからこの三つのポイントを順に考えていきたいと思いますが、その前に、インターネットというメディアがもつネットワークの構造を簡単に見ておきましょう。この構造こそが、三つの状況を生み出す源になっているからです。  図のように、インターネットのネットワークはクモの巣のような形をしています。ちなみに、WWW=World Wide WebやWebサイトのWebとはクモの巣という意味。  形をみれば一目瞭然だけど、このネットワークには「中心」もないし「末端」もありません。一言でいえば「多対多」の情報交通を前提としたネットワークです。  すべての結節点が対等平等。始点もなければ終点もない。いわば、はじめから方向性という概念自体がないのです。  これに対して、放送のネットワークはまったく逆の位相をもっています。この図を東京のキー局と地方の系列局の関係と見てもいいし、ひとりのアナウンサーが読み上げるニュースを何百万人が一斉に見ている光景と見てもいいけれど、要するに「中心」があって、それが「末端」を支配しているという構図です。  すなわち「一対多」のネットワークですね。中央集権的な構造だから、当然そこには方向性ある。情報が末端から中心に吸い上げられ、それがある加工段階を経て再び末端に配信される。これがマスメディアの基本構造です。  この違い、決定的でしょう? どう考えても進化とか発展とかいった線形的な変化ではない。断層を飛び越えてまったく別の世界にジャンプしたような感じです。先ほど「グーテンベルク以来の革命かもしれない」と言ったのは、このためです。  グーテンベルク以降、出版物の登場、郵便制度の発達、新聞時代の幕開け、ラジオ・テレビの出現と続いたメディアの発展は、すべて中央集権型ネットッワークの強化に向けたものでした。  この進化のプロセスで、情報の配信コストは劇的に下がり、配信速度は劇的に上がった。だから情報が血液のように大衆社会の中を循環するものになったわけです。

 

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