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コラム

空間メディア入門

2-18「教える」のではない

2012.08.20

 だけど、言うは易しくて、これは難しい。
 なぜなら、十把一からげの情報カゴから取り出し、自分の問題として考えるのはあくまで受け手側であって、送り手サイドではないからです。
 主導権は最後まで相手側にあるわけで、首根っこを押さえて「これをお前自身の問題として考えろ!」とか「考えるべきだ!」などと強要したところで意味がないし、実効も上がりません。あくまで本人が自発的・能動的に情報と向き合ってくれない限り、そうはならないわけですね。
 だから「啓蒙」ではダメなんです。「知る者」が「知らざる者」に知識を授け、教え導くというスタンスでは、相手も受け身の姿勢を変えません。というか、変えようがない。
 前にも言ったけど、一方的にメッセージが送達され、一義的な理解を強要されるという状況は「教育」であって、「対話」ではありません。そして、受け身でかかわった情報は「他人事」のカゴに入れられたままなかなか外に出てこない。
 要するに、やるべきことは一方通行で「与える」ことではない、ということです。
 「教える」のではなく「触発」する。自ら「発見」する舞台をつくる。
 それこそが空間というメディアに期待される最大の役割であり、その性能をフルに活かす道でもあるわけですね。
 そのためには、当然ながらアトラクティブでなければダメ。面白くなければ興味も涌かないわけで、空間メディアには知的なエンターテイメント性が不可欠です。興味をもってもらえなかったら、そこでゲームセットですからね。
 当たり前だと思うでしょうけど、実際にはなかなかそうならないんですよ。情報の送り手は、情報そのものに価値があって面白いと信じているから、なんの工夫もせずにそのまま露出するだけでイケてると思い込んじゃう(笑)。でも、大体において相手はこちらが期待するほどには関心がない(笑)。
 だから、下手をすると、声高に説き伏せようとすればするほど相手は引いちゃう。

 

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