サンプリングはまさにその役割を果たすものです。実際にそのビールがそそがれる音を聞き、匂いを嗅ぎ、唇と舌に当たる感触に触れ、喉ごしを確かめ、味わう。
こうなるともはや他人事ではありません。
次にスーパーに行ったときに銘柄をこれに変えるかどうかを考えざるを得ない状況に追い込まれている。「知っているカゴ」から飛び出して、自分としてこの問題にどう向き合うかという土俵に引き出されてしまうわけですね。
ウナギの煙で話したこととまったく同じです。身体(ルビ:からだ)の中を実感が通り抜けているから、もう元へは戻れない。
知識としては知ってはいるけれど「日ごろ何気なく見過ごしてきたこと」や「自分とかかわりのあるものと認識していなかったこと」が、自身の行動や選択の対象に格上げされる。情報が身体化されると自ずからそうなるんです。
空間メディアはこの状況をつくることができる。単に「見た」「知った」という状態から、自分との関係のなかで「考える」段階に引き上げるきっかけになり得るということです。
情報に接した相手が、自らの感性で認識したり、自分にとっての意味を発見したりする契機をつくる。それが次の行動への“背中を押す”。
空間メディアとはそのためのスイッチ≠ネんですね。
もちろん、やれば必ずそうなるわけではない。この性能を活かせるかどうかは、ひとえに情報を身体化できるか否かにかかっています。つまりは「実感」です。だから情報を「体験」として提供しなければならないし、そのためにはどうしてもシズルが要るわけです。
もちろんこれはサンプリングに限らずすべてのメディア空間に共通すること。展示会もショールームもミュージアムも、基本原理はみな同じです。