いよいよ最後、特性の三つ目は“背中を押す”メディアだということ。空間体験として提供される情報がぼくたちを「触発」し、「発見」を促すという特質です。
冒頭でビールのサンプリングの話をしましたが、こんな手間のかかる効率の悪い方法がいまも商品プロモーションの主役でいられるのは、その機能を代替する手段が他にないから。実際に新製品を手に取って飲んでみるという体験のもつ情報量は圧倒的で、マスメディアやインターネットでは逆立ちしても手が届きません。次元が違う。
もちろん、だからといってサンプリングがマス広告を駆逐できるわけではない。両者は同じ物差しで単純に優劣をつけられる関係ではないし、どちらかが相手に取って代わる間柄でもありません。要するにセンターフォワードとゴールキーパーのようなもので、最初から役割が違っていて、しかも両方同時に必要なんです。
繰り返しお話してきた通り、「知る」メディアと空間メディアは補完しあう関係にある。ではその補完とはいったいどのようなものなのでしょう?
新しいビールが発売されるとき、その事実を広く社会に伝える仕事は、多くの場合、マスメディアや交通広告が担当します。ぼくたちは、テレビのコマーシャルや新聞・雑誌の広告、あるいは電車の吊り革広告などで新製品の誕生を知るわけですね。
つまりこの段階で知識としては知っている。しかし、だからといって自動的にそのビールを買い物カゴに入れるわけではありません。当たり前だけど、「知っている」という事実と自らの行動や選択が必ずしも直結するわけではない。
ぼくたちは毎日膨大な情報と接することを余儀なくされているので、そのすべてを自分自身の問題として向き合っていたら情報処理が追いつかない。だから、ごく限られた情報以外は「知っていること」というカゴに入れたまま、そこからは出しません。
知識として知っているだけではまだ自分自身の問題になっていない。カゴの中からジャンプして意識の懐に飛び込むためには、つまり「あっ、これはオレ自身の問題なんだ」と実感するためには、きっかけが要るんです。