これをなんとか解決しよう、観客との“交流”を形にしようと、展示のプロたちは昔からあの手この手を考えてきました。しかし、その多くは「ボタンを押すとなにかが動く」とか「三択の映像ストーリーを多数決で選ぶ」「クイズやゲームをやらせる」といった類いの幼稚なもの。はっきり言えば、形式のみの “参加のアリバイ”をつくっていただけでした。
もちろん、この種の自称「参加型展示」では解決になりません。問題は、情報の送り手と受け手の間に双方向の情報交換が起こるかどうかであり、両者の存在がつくり出す空気感が生まれるかどうかです。
展示はライブコンサートと違って、情報内容の主役が生身の人間ではなく「つくりもの」なので、情報伝達が一方通行になりがちで、しかも空気感をつくりにくい。これは構造的な問題です。それを少しでもなんとかしたいと、ぼくも悪戦苦闘しています。
たとえば、岡本太郎美術館の「彫刻の大地」―あの円形劇場のような彫刻展示空間のことです―などは、まさしく空気感をつくるためのアイデアだったわけですし、この美術館ではさらに別の提案もしています。
観覧動線が迷路のようになっているんです。決められた順路がないだけでなく、ところどころの結節点では道が3つに別れていて、いずれかを選ばなければなりません。実は、絶対に一筆書きでは回れないようにつくってある(笑)。見知らぬ街を巡り歩くように、迷いながら行ったり来たりする中で、太郎とのさまざまなであいがあるわけですね。
これは一般的な美術館の設計思想とは正反対です。大方の企画展がその典型ですが、会場に入るとまずご挨拶パネルがあって、次に年表があって、あとは決められた順路に沿って順番に観ていく、というものですよね。指示通りに進んでいけば、最後にはちゃんと意味がわかるからね、という仕組みです。
この「決められた通りに進んでいけば体系的な知識の理解に到達できる」という構造は教科書と同じ。「学習」には最適かもしれないけれど、「対話」の形式ではありません。
情報が一方的に送達されるだけでは対話は成り立たない。それをなんとかしないと、展示はインタラクティビティを獲得できないのです。