「わかる」とはなにか。
「あっ、わかった!」と感じた瞬間を思い出してください。はじめて自転車に乗れたときでもいいし、はじめて芸術に感動したときでもいい。「あっ、わかった!」という感覚が訪れたとき、自分の身体(からだ)の中を「実感」が通り抜けていたはずです。
だから、この状態を昔の人は『腑に落ちる』と表現したんですね。
マスメディアやインターネットにはインフォメーションはあっても実感はありません。実感のベースはまさに“腑に落ちる”という身体感覚だから、身体性の希薄なメディアで実感を提供するのは難しい。なぜなら、マスメディアやインターネットから入ってきた情報を、ぼくたちは頭で理解し、理性的に処理するからです。おそらくは左脳が働く。
これに対して、空間が提供するのは五感を刺激する「体験」です。だから情報を「実感」として伝え得るわけですね。
勝負は「シズル」をつくれるかどうかだ、と繰り返し強調しているのはこのためです。「ウナギの焼ける匂いと煙が立ちこめる場に居合わせてしまった」という状況をつくることができれば、もうこちらの勝ち(笑)。相手の身体(からだ)の中には実感が通り抜けているから、もう逃げられない。イベントは臭ければ臭いほどいいんです(笑)。
実感が注入されるとどうなるか。こんどはそれを自分の問題として考えはじめます。これが後でお話する“背中を押す”という三番目の特性です。ウナギの煙に巻かれたら批評家ではいられません。それを喰うか喰わないかという土俵に引きずり込まれてしまう。もはや自分の問題になっているわけですね。
でも、「この肉は○○産で、肉質がこうで」という能書きを聞かされただけでは、事実を知っただけで、まだ他人事の域を出ない。これが空間と他のメディアの決定的な違いです。空間にはこの性能が与えられているわけですから、それを活かす道を考えた方がいい。
次にひとつの事例を紹介します。六本人ヒルズがちょうど一周年を迎えたときにぼくがプロデュースした「Super Creators’ Arena(SCA)」というイベントです。