太郎の気配に満ちた密度の高い空間をつくる。観客はその中を巡り歩きながらさまざまなTAROに触れ、TAROと語る。
「頭で理解する」のではなく「五感で感じる」。「納得」ではなく「感知」……。
この美術館を支えるコンセプトですが、どこかで聞いたことがありませんか?(笑)。
そう。「岡本太郎と語る広場」です。実は、太郎さんが亡くなったのはこの美術館のプランを練っている最中でした。あの葬儀は、美術館でやろうとしていることが成立するかどうかを確認するものでもあったんです。草月会館での実験がうまくいったので、自信をもってこのコンセプトを推し進めることにしました。
そのとき確信したのは、「美術館は知的な遊園地であり、アクティブな探索の場であるべきだ」ということ。「威厳はあっても楽しくない」という美術館の現状はどこかおかしい。
音楽や絵画を楽しむときは右脳が優位に働き、人は右脳が活発に動くと快楽物質が分泌されてリラックスした気分になります。この原則に従えば、美術館でアートに触れる体験は右脳を活性化させる行為の典型のはず。精神的な疲労感が吹き飛んでリラックスできなければ理屈にあいません。
でも実感は逆で、美術館では肉体より先に脳味噌が疲れます。まるで勉強した後のように。そう感じませんか?
それはおそらく左脳が優位に働いているから。
美術館での芸術鑑賞という行為を支配しているのはイメージではなく論理と言語なのではないか。図録を読むのと同じように“学習”しているのではないか。ぼくはその可能性が高いと踏んでいるんです。
「右脳型美術館」をつくりたい。「空間体験型美術館」をつくりたい。「遊園地のような美術館をつくりたい」。そう願いながらこの美術館を組み立てていったんです。