さて、二つの葬送空間を例題にして、「空間で語る」ことの意味を考えてきたわけですが、改めて確認しておきたいのは、文脈を語っていたのは「空間」であり「体験」であって、説明パネルや解説ビデオなどではなかったという事実です。
すべてが直感的に肌で感じられるようにつくられていました。論文を読み進んでいくときのようなロジカルなアプローチとは対極的な構造にあったわけですね。
これが空間メディアの基本的なあり方です。教科書のように「頭で理解する」のではなく、「五感で感じる」。目指すのは「納得」ではなく「感知」です。
なぜなら、空間認識は右脳の領域に属していて、言語や論理と同じく左脳が優位に働くわけではないからです。ぼくたちは右脳で空間を把握する。イメージや映像として認知するわけですね。だから徹底して右脳に働き掛けるべきだし、その方が得なんですよ。
先ほども言いましたが、知識を体系的に理解させることを使命にする教科書のように、左脳に働き掛けるための情報伝達なら本や印刷物が適しています。空間にこれと同じ性能を期待するのは筋違いだし、無理してそれをやったところで効果は薄い。
悪しき例としてぼくがよく引き合いに出す「パネルが並ぶ展示ブース」がまさにこれです。せっかく空間という舞台が与えられているのに、わざわざその中で印刷物を読ませている。おいしい刺し身にソースを出すようなものというか、芝居を観にきたお客さんにテレビを見せるようなものというか……(笑)。要するに場違い。
イメージで勝負する空間メディアにとって、大切なのは臨場感です。どれだけ生々しい空気感を醸し出せるかでインパクトが大きく変わる。それがいわゆる“シズル”です。