ところで、参道と敏子の間に白く光るテーブルのようなものが見えますね。先ほど、この空間の“基本言語”を「言葉」にしようと思った、と言いましたが、実は、参列者に会場に入って最初に「敏子に贈る言葉」をハガキ大のカードに書いてもらっていたんです。それが「記帳」代わり。
参道に沿って進んだ参列者は、最後にそれを敏子に手向けるのです。もうおわかりでしょう。そう、これが「焼香」です。
太郎さんのときには鐘を叩いてもらいました。最後の締めくくりとして、作品を媒介に太郎さんと対話して欲しかったからです。敏子のときはそれが言葉に代わったわけですね。
光の輪の中に降ってくるのも彼女の言葉です。映像もいろいろあったのですが、あえて使いませんでした。言葉だけを浮き立たせたかったからです。
そして、このテーブルまで来た人の眼の前には、二人の姿が大きく広がり、同時に太郎の彫刻『愛』が見えてきます。男女が対になったこの作品は敏子が大好きだったもので、おそらくモチーフは太郎と敏子だと思います。
さて、いかがでしょう?
葬式ではない葬儀。故人と語る。祝葬。
軸線と焦点。記帳・遺影・焼香。能動的なコンタクト。
空間性。身体性。参加性。
二つの葬儀は見た目は似ても似つかないけれど、実はまったく同じ思想の下につくられ、同じ構造をもっていることがおわかりいただけたのではないかと思います。
すべては空間で語り、体験で伝えるため。
空間には空間にしかできない仕事があるのです。