そこでどうしたか?
強烈な「軸線」をつくることにしました。
たまたまこの会場には天井に照明のラインが走っていて、突き当たったいちばん奥にガラスの窓があった。それを使ってこの空間にメッセージ性を与えることにしたのです。
「そうだ、このラインに沿って会場を斜めに貫く中心軸をつくろう。この空間に入った誰もが意識せざるを得ない強烈な軸線をつくり、その焦点にイヤでも視線が集まるようにしよう。そこに“去りゆく太郎”のイメージを添えるのだ。そうすれば、なにも知らずに入ってきた人でも、無意識のうちに軸線の存在を感じてひとりでに視線が前に向く。そして、いちばん奥で去りゆく太郎に出会う。会場に身を置いただけで、ここが太郎と別れる空間であることが説明なしでわかるはずだ」。そう考えたわけです。
軸線を強調するために、ノグチ空間にはなかった階段をデザインし、参道のような一本道をつくりました。ほかが原色のなのに、その道だけはあえてグレーです。
問題は“去りゆく太郎”のイメージでした。視線をすべてそこに集めるわけだから、そのビジュアルのクオリティが決定的な役割を果たすことは明らかだったからです。
しかも、普通の遺影のように正面を向いて笑っているようなものでは話にならない。コンセプトを成立させるためには、あくまで“去りゆく”姿でなければならないわけです。
そんな都合のいい写真があるのか? そう思いますよね。
あったんです(笑)。写真家・奈良原一高さんの作品で、まるでいたずら坊主が笑みを浮かべて“バイバイ!”と言っているようにみえる。
大空に駆け抜けていく太郎。
まさにコンセプトのイメージそのものだし、ユーモアとウィットを愛した太郎さんの「遺影」にぴったりです。
これで空間そのものが文脈を発信する構造をつくることができました。なんとか「空間で語る」ことができたわけです。