このコンセプトを実現するために、空間全体を「岡本太郎の断片」で埋め尽くし、空間そのものを太郎でコラージュすることにしました。作品、グラフィック、写真、映像、照明……、さまざまな要素を組み合わせ、徹底して高密度な空間を目指したわけです。「ノグチ問題」については(笑)、目に入る彼の痕跡をすべて真っ白な布で覆うことで解決することにしました。
その結果がこれです。ノグチの立体石庭をすべて白い布で包んだうえで、床は原色に、正面の大壁は太郎作品のコラージュに変える。ひな壇のうえには実物の彫刻や家具をランダムに配置し、合間に置かれたモニターにはエネルギッシュに語る太郎さんの姿を流す。さらに天井全体にも映像を投影し、階段の踊り場からは等身大の太郎フィギュアがこちらを見下ろしている。
いわば“太郎のジャングル”の中を巡って歩くわけですね。もともとのノグチ空間が独特のダイナミズムをもっていたこともあって、なかなか刺激的な空間になりました。
でも、これで完成というわけにはいきません。なぜかわかりますか?
展覧会ではなく葬儀だからです。太郎の作品やイメージが集積しているだけだったら、それはちょっと風変わりな「岡本太郎展」に過ぎません。人がたくさん来てくれて、その人たちがみな喜んでくれたとしても、「ああ、面白い展覧会だったね」で終わってしまったのでは、まるでやった意味がない。
空間自身が「ここは葬送空間である」ことを自己表明していなければならないし、この空間に一歩足を踏み入れただけで、自分はいま葬儀の空間にいるのだということを実感できなければならない。
すなわち「空間で語る」ことが必要なわけですね。形式通りの当たり前の葬式ではない以上、なおさらそれは不可避です。たとえ外に「これは葬式です」と看板が出ていたとしても、空間にその実感がなければ参列者は消化不良のまま家路につくことになってしまう。そんな中途半端なことはできません。