喪主は、公私にわたって太郎さんを支え続けた岡本敏子。50年来の秘書で、戸籍上は養女、実際には妻だった女性で、ぼくの伯母です。ぼくは彼女からすべてを任されました。
クライアントである伯母の注文はたったひとこと。「お葬式にはしないでね」というものでした。
葬式ではない葬儀……。この禅問答のようなリクエストがすべての出発点だったわけです。
会場は東京・青山の草月会館の一階ホール。ここで太郎さんの誕生日にあたる2月26日に開催することが決まり、すぐに下見に行きました。
「草月プラザ」と呼ばれるこの空間を見て、ぼくは絶句しました。そこは空間そのものが世界的彫刻家イサム・ノグチによる作品で、美しくひな壇状に造形された空間のなかを巡り歩く構成。いわば空間全体が三次元の石庭になっているんですね。
そこに立つだけでイサム・ノグチの匂いがプンプンしてくる。一級の芸術作品だから当然です。しかし一日だけこの匂いをすっかり消して、太郎の匂いに変えなければならない。
しかも「葬式にはするな」と言われています。どんなコンセプトで行くべきか、どんなコンセプトがあり得るのか…。
いろいろと考えたあげくに到達した結論は、実にシンプルなものでした。
“太郎の気配”に満ちた空間をつくり、そのなかを巡り歩くなかで参列者が太郎さんとお別れの対話を交わす。儀式のための儀礼的な空間ではなく、一人ひとりがそれぞれの思いで太郎さんと最後のお別れができるようなクリエイティブな空間をつくる。それだけです。
名称も『岡本太郎と語る広場』にしました。「惜しい人を亡くしました」型の葬式は「故人を語る」ものだけど、太郎の場合は「太郎と語る」。
これで行けると思いました。単純だけど、コンセプトの芯はシンプルな方がいいんです。