「空間で語る」とはどういうことか。
抽象的な話ではイメージが湧かないでしょうから、実際のプロジェクトを見ながら考えていきたいと思います。
ケーススタディとして取り上げるのは二つの葬儀です。ともにぼくがプロデュースしたものなんですが、まずはこの人の葬儀から見ていきましょう。そう、あの太陽の塔をつくった芸術家・岡本太郎です。
太郎さんは、リアルタイムで大阪万博を経験した世代には身近な存在ですが、若い人は知らないかもしれませんね。
彼は日本のアバンギャルドの草分けで、1930年代のパリで青春時代を送り、戦後の日本でたったひとり既成の常識や権威と闘いながら、多くの画期的な作品を残した芸術家です。その活動は多岐にわたっていて、絵画・彫刻からグラフィック、プロダクト、写真、建築…、果てはヘリコプターで空に絵を描くことまでやっています。
なかでももっとも有名な作品はやはり「太陽の塔」でしょう。1970年の大阪万博のテーマ館としてつくられたこの巨大モニュメントは高さが70m、内部には壮大な展示空間を擁していました。
実は、この大阪万博こそが日本のディスプレイを根底から変えた節目の出来事であり、その中核にあって唯一無二の展示空間を実現していたのが、このテーマ館だったんですね。
さて、その太郎さんは1996年1月に亡くなったんですが、普通に葬式を出すことができませんでした。生前、「オレは葬式なんか大嫌いだ」と言っていたからです。
「あんな偽善的なものはない。日ごろ足を引っ張ったり悪口を言ったりしているくせに、葬式のときだけしおらしい顔をして、惜しい人を亡くしました、などと心にもないことを言う。卑しい。オレのときには葬式なんかやるな」と言い残していた。だから彼が亡くなったとき、葬式をやらないことだけはすぐに決まりました。
でも、あれだけの人なのに、なにもしないで終わりにすることはできなかった。社会が許してくれないんです(笑)。そこで「お別れの会」を執り行うことになりました。