一方、情報の“鮮度”でいえば、インターネットの右に出るメディアはありません。インターネットなら、いま思いついたことをその場で発信できる。情報の生成と流通をほぼタイムラグなしに実行できるわけで、こんな芸当ができるのはインターネットだけです。
そのうえ、マスメディアや空間メディアでは、情報を流通させる準備に多大な時間とコストがかかります。コマーシャルの制作にしろイベントの開催にしろ、多くの人手と準備期間が必要です。しかもマスメディアに乗せるコンテンツはプロにしかつくれません。
しかし、インターネットの世界では誰もが情報の送り手になれる。たとえば、ブロガーの数は2009年1月末の時点で2695万人に上っています(総務省調べ)。ネット社会では玄人も素人もないし、そもそも情報の「送り手」と「受け手」という枠組み自体がありません。インターネットが「双方向のメディア」と言われる所以です。
ただし、同じ双方向のメディアであっても、インターネットと電話ではまったく意味が異なることを忘れてはなりません。電話が「1対1」の双方向であるのに対して、インターネットはいわば「他対他」の“マルチ方向”。後に触れますが、これはまさしく情報インフラの歴史的転換と言うべきものです。
こうしたインターネットがつくりだす新しいカルチャーは、マスメディアがつくってきた従来の情報観を大きく塗り替えようとしています。たとえば、「流通する情報はパーツに過ぎない」という感覚。「ネット上の情報は素材であって、いくらでも加工できるし、加工していい」という感性ですね。マスメディアの時代には考えられなかったことです。
インターネットの出現がもたらした情報環境の変化と情報感性の変貌については第3章で改めてお話します。いずれにしても、空間メディアではインターネットのように鮮度の高い情報を送り出すことは不可能で、このフィールドで張り合っても勝ち目はありません。
しかし、いかに効率が悪くとも空間メディアは無くなっていないし、他のメディアに駆逐されてもいません。それは空間にしかできない強力な武器をもっているからです。
それが「空間で語る」「体験で伝える」ということ。
では次に、その意味を探っていくことにしましょう。