いま、ぼくたちを取り巻く情報環境は激変しています。
駅の改札をケータイで通り、音楽はダウンロードで買う。家にいながら地球の裏側をウォッチし、添付ファイルのやり取りだけで仕事を進める。当たり前のようにやっているけれど、ちょっと前には考えられなかったことです。
最近では米グーグルの「ストリートビュー」や、人類が残した全書籍のデータベース化を目論む「図書館プロジェクト」が物議をかもしていますね。いずれも十年前ならSFです。
3年先になにが起きているのか予測がつかない。変化のスピードがほんとうに想像を超えている。大袈裟な比喩ではなく、それがぼくたちを取り巻く情報環境の現実です。
うねりの震源はもちろんデジタル技術とインターネット。後で触れますが、こうしたデジタルメディアは従来のアナログ的なマスメディアとはまったく位相を異にしている。このうねりが、いま、既存のメディアに高波のように押し寄せているわけですね。
一見すると黒船が来襲しているようにも見えます。既存メディアがデジタルメディアの餌食になる、という見方です。空間メディアについても同様で、一時は「ネット社会に展示会など時代遅れ」と言われていました。
でも、本当にそうなのでしょうか? マスメディアや空間メディアはやがてデジタルメディアに駆逐されてしまうのでしょうか?
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌のいずれもが苦戦している現状をみると、デジタルメディアの出現が構造レベルで既存メディアの屋台骨を揺るがしていることは疑いようがありません。
しかしぼくは、両者の関係はどちらかが相手に取って代わるようなものではなく、互いに自分にないものを相手に求めて共存する間柄になると考えています。
つまり「代替」ではなく「補完」です。紙と鉛筆の関係に似て、一方が伸びればそれに連れて他方も伸びていく。
鉛筆は紙を追放できません。