要するに、その情報と自発的にかかわりたいとのモチベーションが生まれるかどうかが問題なわけですが、そのためにはもうひとつ大切なことがあります。それは、できる限り観客ひとり一人の事情に応えるフレキシブルな構造にすること。
いうまでもなく、会場にはいろいろな人が来ます。一人ひとり興味も違えば知識も違う。そういう多様な観客の欲求にどうやって応え、いかにして彼らの関心を惹きつけるのか。
実は、DNA展の仕事を終えた後、TCDCに招かれてバンコクに講演に行ったんですが、最後にこういう質問を受けたんです。
「できるだけ文字解説に頼らず体感的な構造にする、という考え方はよくわかったが、それだとなにもわからずに終わってしまう恐れがあるのではないか」
鋭い質問です。ぼくはこう答えました。
「なんの手立ても講じず、感性に訴えるだけの演出をすれば確かにそうなる。展示は空間で(傍点)語るためにあるのであって、単なるBGVではない。とはいえ、観客は一通りではなく、動機や立場、興味や知識レベルが異なるさまざまな階層の複合体であって、なにを語るにしても単一の構造では済まない。いままで関心はなかったけれどここへ来て少し興味が涌きました、というレベルの人と、専門的な情報を求めている人に同じ説明で満足してもらうことは困難だ。
だから多層構造でなければならない。まずはなにも知らない人でもわかる、興味がもてるレイヤーがある。でも、もっと知りたくなったら次のレイヤーの扉が開いていて、その中に入っていけばさらに深い情報が用意されている。その奥にはさらに次のレイヤーがあって……、という構造だ。
展示が体感的であることと、高い説明力をもつことは必ずしも矛盾しない。
忘れるべきでないのは、百科事典のように細かい情報をベタベタ貼って、これでどんな要求にも応えられるはずだと自己満足に浸っても意味がないということ。その誘惑に負けてはならない。目指すべきは観客にもっと知りたいと思わせること。欲張ると逆効果になる。展示はライブラリーではない。ライブラリーに行きたいと思わせるのが展示なのだ」