ではいったい、どういうときに観客は「受け手」から「メディア」に変わるのか? 観客が情報のShareに向かう条件とはなにか?
マス広告の逆を考えればいいんです。新聞広告やテレビスポットは、セリングポイントを絞り込み、言いたいことを短いフレーズにパッケージして大量にバラ撒きます。その基本思想は、広く、浅く、均一に。そして、誰にも、同じメッセージを。
マス広告は情報格差を生じさせないことを前提にしています。というより、情報格差を解消するためにある。マス広告が目指しているのは情報の平準化です。
もちろん、これはこれで大切なことなのだけれど、観客をメディアに変えるために必要なのはまったく逆のアプローチです。それは「決定的な情報格差をつくる」ということ。
ネットでの情報は、基本的に「よく知る人」から「より浅い人」に流れます。つまり、情報格差が大きいほどこの行動へのエネルギーは増すわけですね。観客のクチコミ、ネットコミの契機をつくりたいなら、参加者だけが特権的に得られる濃密な情報を提供し、圧倒的な優位性をプレゼントすることが必要です。そうすることで、情報をShareしたいとのモチベーションが喚起され、自身のメディア性が発動されて情報の連鎖と交換がはじまるわけです。
繰り返しお話してきたように、メディア空間の役割はマスメディアのそれの対極にあります。「広く、浅く、均一に、誰にも、同じもの」ではなく、「自分のために、自分が掴んだ、自分だけの、特別なもの」。空間体験による情報との濃密な接触を通して、それを自らの感性で認識し、自分との関係において意味を発見する。そして、それが次の行動への背中を押す=B
空間メディアとはスイッチ≠ナある。第1部でお話した通りです。
つまり、これからの情報訴求には「伝えたら終わり」ではなく、「いかにして次のアクションにフックをかけるか」というアプローチが求められる。→空間というメディアは受け手を情報のShareに向かわせるのに最適なメディアである。→この能力を活かさなければ損だし、活かすことができれば大きな役割を果たすことができる。こういうことです。