実は以前から、ぼくは美術館の展示空間に対して少しばかり違和感をもっていました。難しいことではなくて、極めてシンプルな疑問です。
たとえば「なぜ観客と作品との関係は常に1対1なんだろう?」ということ。
どうやら美術館の世界には「美術鑑賞とは作品を一点ずつ個別に観賞していくもの」との不文律があるようで、「観客と作品が1対1で対峙する」ことが暗黙の了解になっている。実際には、隣の作品や周りの観客も見えているし、話し声も聞こえているのだけれど、そういうものは「見なかったことにしてね」という前提で成り立っているわけですね(笑)。
だけど、もともと空間とはそういうものであり、そういうことをひっくるめて空間なわけでしょう? それを完全に押さえ込むのは無理だし、空間の特性を否定してしまったらつまらないじゃないか、と単純に思ったんです。空間であることを自覚してそれを活かせば、“標準仕様”とは別のアプローチが見つかるかもしれない。
音・光・映像などの演出要素と作品が一体となってひとつの環境をつくたっていいし、作品が群をなして迫ってきてもいい……。
作品というモノを個別に陳列するだけなら、問題になるのは、それが見やすいか否か、解説文がわかりやすいか否か、といった観客と対象物の1対1の関係性だけです。空間という概念の出番はない。
実際、美術館の学芸員が「展示」と言うとき、その意味するところは概ね「どの作品を選ぶか」「どの順番に並べるか」であって、「どんな空間をつくるか」ではありません。だから四角い部屋を白い壁で仕切り、事前に組み立てたストーリー=ロジックに沿って作品が並ぶことになる。
ズバッと言い切ってしまえば、これでは「図録」と同じです。空間なのに、紙媒体と同じ構造になっている。
これではいかにももったいないじゃないか。いつもそう感じていました。