1961年、岡本太郎は二科会を脱退します。美術団体が絶大な権力をもち、芸術家は団体に属さなければ生きていけないと信じられていた時代。なにものからも自由になった太郎は、水を得た魚のように自身の可能性をひらいていきました。
梵鐘、歌舞伎の舞台、光る彫刻、巨大なクリスマスツリー、時計台、風呂場のデザイン…。50年代までは画家・彫刻家であった太郎が、60年代に入ると一気に表現世界を広げていきます。一般の芸術家とはあきらかにちがう地平に立っています。
このころから画風も大きく変化しました。梵字にも似た黒いモチーフが画面を支配するようになるのです。いかにも神秘的・呪術的な気配に満ちています。
「芸術は呪術である。」
1964年2月、太郎はこう宣言しました。
太郎にとって芸術とはたんなる表現ではなく、呪術というアクション。
太陽の塔は岡本太郎が仕掛けた壮大な呪術なのです。 |