記念館の第二弾企画は太郎の写実画をテーマに据えた。
新しい太郎とであうことも生誕100年の大切な視座と考えたからだ。
岡本太郎は写実的な絵は描かないとだれもが考えている。むろんぼくもそうだった。
抽象度の高い造形と激しい原色の色使い。目の前にあるものを写すのではなく、精神にわきあがってきたイメージを描く。
だから岡本絵画に裸婦や静物はないし、戦時中や親族知人のデススケッチなど、特殊なケースを除いて太郎に写実画は存在しない。そう考えていた。じっさい敏子も「岡本太郎に自画像はない」と言っていたのだ。
だが2010年末に目を見張るデッサンがひょっこり出てきた。
明らかに上野毛時代の太郎と敏子だ。
敏子さえ忘れていた60年前の、そしておそらく唯ひとつの自画像。
そして彼女を知る者ほどその描写力に驚く若き日の敏子。
いずれも岡本絵画のイメージとは真逆の、静かでやさしい表情をたたえている。
そうした身近な人の表情を書き留めた写実的な絵を一堂に会した。
人に見せるために描いたものはない。
ここにはぼくたちの知らなかったもうひとりの太郎がいる。
まぎれもなくそれも太郎なのだ。 |