岡本太郎には長らく行方不明になっている絵画が少なからずある。
写真が残っているのに、作品がない。
美術展への出品記録があるのに、現物がない。
なんの手がかりも残さず、神隠しのように忽然と姿を消したと思われてきた。
しかし“消えた”わけではなかった。
近年の調査で徐々に事情がわかってきた。
多くは太郎自身の手で描き変えられていたのだ。
調整や修正といったレベルではなく、まったくの別物に見えるほど大きく姿を変えていたために、それとはわからなかったのである。
1940〜50年代の初期作品をはじめ貴重な絵画の数々が、こうして失われていった。
しかもそれと引き換えに残された作品は、いずれも荒っぽい仕上がりで、完成度も低い。
はっきりいえば、駄作といわれても仕方のないものばかりだ。
そのままにしておいて欲しかった。ぼくは素直にそう思う。
それにしても太郎はなぜこんなことをしたのだろう。
消された作品には共通性がないし、消去すべき理由も見当たらない。
そもそも展覧会に出品するほどの自信作だったはずではないか。
いくら考えてもわからない。
ひとつだけ確かなことは、太郎の貴重な作品が目の前に埋もれているという事実だ。
それをこの目で見てみたい。単純にそう思った。
地下に埋もれた作品を掘り起こし、ふたたび光をあてる。
まさに発掘である。
もちろん当時の写真をもとにCGで再現する手もあった。
だがそれでは臨場感がないし、空気感が伝わらない。やはり油絵は油絵として見たい。
そこで失われた作品を5点選び、新たに油彩を描き起こした。
作家本人が消し去ったものを、勝手に晒していいのか。
そうした批判もあるだろう。それは覚悟の上だ。
「いちど社会に送り出された作品は、もはや作家のものではない。それは皆さんのものだ」
岡本太郎はよくそう言っていた。
失われてしまったぼくたちの作品≠ノ出合うことで、岡本太郎の実像にわずかでも近づきたい。
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