2011年5月、岡本太郎生誕百年の真っ只中に事件は起きた。
何者かが『明日の神話』に煙を上げる福島第一原発を付け足したのだ。
社会部ネタとして全国に報道され、記念館にも取材が殺到した。
記事のトーンはいずれも「悪質ないたずら」だった。
だが一見して壁画と太郎に敬意を払っていることがわかる。
それはあきらかに悪ふざけではなく表現だった。
だからぼくは、太郎サイドの「怒りの声」を期待する取材に対して、一貫して「いたずらと切り捨てるべきではない」と言い続けた。
騒動に巻き込まれながら、「これをやったゲリラを正規のリングに立たせたら、いったいなにをするのだろう」と想像した。オフィシャルなフィールドにステージを用意し、正々堂々、正面から太郎にぶつけてみたい。そう思ったのである。
やがてChim↑Pomの仕業とわかる。
ぼくは彼らについてなにも知らなかったのだが、後日じっくり話しあう機会を得た。
そしていつかアイデアを決行しようと腹を決めた。
太郎の聖地をコラボレーション作品で埋め、数ヶ月にわたる評価に晒される。
それはゲリラよりはるかに難しい仕事だ。注がれる視線も甘くはないだろう。
だがあの一件で世間を騒がせた彼らにはそのリスクを引き受ける責務がある。
こうしてこの展覧会ができた。
記念館がこれまでに経験したことのない気配に包まれている。
いまは無き芸術家と正面から格闘しようとした若い想像力の軌跡を見てほしい。
そこにあるのは悪ふざけでも賛美でもない岡本太郎との真摯な対話だ。
むろんChim↑Pomと組む以上はこちらにも覚悟が要る。
刺激的な作品には賛否あるだろう。あるいはふたたび物議をかもすかもしれない。
彼らと等しく館も責任を引き受けるつもりだ。
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