《 疾走する欲望と野心 ―革命期の日本ジャズ 》
1970年代、日本のジャズシーンは活況に沸いていました。
ジャズ喫茶やライブハウスに連日若者が詰めかけ、メジャーレーベルが競うように新譜をリリース。映画やテレビの音楽にジャズマンが起用され、海外に飛び出したミュージシャンが本場のレジェンドたちと互角にわたりあう。ついには帯のついた日本産LPがパリのレコード店に並ぶまでになった…。
ジャズが固有の文化として社会から一目置かれ、成長の只中にあるとだれもが信じていた。そんな自信と希望に満ちた時代だったのです。
なにより大きかったのは、〈East Wind〉〈Three Blind Mice〉などのジャズレーベルが次々に誕生し、若手ミュージシャンの新譜を続々とリリースしたことでした。この状況がミュージシャンのモチベーションを掻きたて、ファンの好奇心を刺激します。
ムーブメントを後押ししたのが、時をおなじくして出現した“日本のジャズ”でした。誤解を恐れず言い切ってしまえば、それまで舶来サウンドの再現を目指していたジャズマンたちが、とつじょ黒人のジャズとも白人のジャズともちがう“日本人のジャズ”を演りはじめたのです。
当時日本のジャズシーンの中核にいたミュージシャンたちは例外なく若く、野心的でした。新録ではスタンダードに目もくれず、オリジナル曲で直球勝負。それまでの“お手本”から自由になって、独自のテイストを追求しはじめます。
もっとも、若い彼らが紡ぎ出すサウンドが高い完成度を備えていたわけではありません。むしろ荒削りで野生的でした。しかし、そうであるがゆえの疾走感とグルーヴは格別で、あり余るエネルギーとオリジナリティへの欲望を放射していました。
ここに収めた7曲はいずれも70年代半ば、日本のジャズがもっともアグレッシブだった時代の音源です。アメリカのジャズともヨーロッパのジャズともニュアンスがちがう“日本のジャズ”がここにあります。
レコーディング年齢は、鈴木勲40歳、渡辺貞夫39歳、日野皓正31歳、日野元彦30歳、鈴木良雄27歳、峰厚介26歳、土岐英史25歳。革命期の日本ジャズを支えていたのは20代の若者たちであり、業界をあげて若い才能に賭けたのです。
いずれもおよそ半世紀前の音源ですが、けっして古く感じません。それどころか、現代の音楽シーンや若い表現者たちに大きな触発をもたらし得るものであり、日本の大切な資源のひとつです。
若き開拓者たちの創造への気概と冒険心、情熱と野心をどうぞお楽しみください。
平 野 暁 臣
〈Days of Delight〉Founder/Producer
1. Friends/鈴木良雄 (from『Friends』1973)
日本を代表するベーシスト鈴木良雄の初リーダー作。鈴木はピアノからベースに転向して1年も経たずに渡辺貞夫カルテットに迎えられた逸材で、このアルバムの録音直後に渡米、アート・ブレーキーやスタン・ゲッツなど超大物バンドでレギュラーを務めた。置き土産となった本作のメンバーは、峰厚介、本田竹曠、村上寛(1曲のみ宮田英夫が参加)。同世代のトップランナーであり、信頼するバンド仲間でもあった3人との息はぴったりで、収録曲はすべてワンテイク。そのライブ感覚と独特の曲調が織りなす高いテンションが、唯一無二の躍動感と疾走感を生み出している。
2. Lullaby for the Girl/土岐英史 (from『TOKI』1975)
日本ジャズ界をリードする土岐英史の初リーダー作。1970年に上京し、鈴木勲グループでプロとしてのキャリアをスタートさせた土岐は、いまもシーンの第一線を走りつづけている。その圧倒的な音色は余人をもって代えがたく、あらゆるジャンルからオファーが殺到。30枚におよぶ自身のリーダー作を含めた参加アルバム数は400枚を超え、山下達郎のサポートでの名演を知るファンも多い。プロになって数年、満を持してリリースされた本作は、日本ジャズのマスターピースとして高く評価されている。リーダーの土岐25歳、対する渡辺香津美は21歳。スリリングな対話が良質な緊張感の源泉だ。
3. Y.M./峰厚介 (from『2nd Album』1971)
1969年に菊地雅章に見出され、彗星のごとく登場して以来、ヴァイタルかつエモーショナルな演奏でファンを魅了しつづける峰厚介。翌1970年に〈Three Blind Mice〉の第一弾を任されたのち、わずか2ヶ月後に新作を録音。26歳の峰はハイテンションのスリリングな演奏で周囲の期待に応えた。それが本作『2nd Album』だ。脇を固める4人はいずれも渡辺貞夫に抜擢された精鋭で、峰の魅力をうまく引き出している。峰はその後、本田竹曠との双頭コンボ「ネイティブ・サン」に活動の場を移し、フュージョンシーンでも人気を博す。
4. Aqua Marine/鈴木勲 (from『Blow Up』1973)
渡辺貞夫と同世代ながら、いまもチャレンジングな試みをつづけるヤンチャな長老・鈴木勲の初リーダー作。この「Aqua Marine」は文字どおり“日本ジャズの金字塔”というべき名演で、当時大ヒットしただけでなく、90年代にヒップホップの“神曲”BUDDHA BRAND「人間発電所」に使われるなど、時代とジャンルを超えて影響を与えた。1969年から70年にかけてニューヨークで活動した鈴木は、アート・ブレーキーやエルビン・ジョーンズのバンドで全米をツアー。本作の音の良さは特筆に値するが、録音の際、ニューヨーク時代に親しくなったレコーディングエンジニアの巨人ルディ・ヴァン・ゲルダーから教わった方法で、鈴木自らセッティングしたらしい。
5. Poromoko La Maji/渡辺貞夫 (from『Sadao Watanabe』1972)
1960年代にバークリー音大に留学し、日本ジャズのレベルアップに決定的な役割を果たした渡辺貞夫。1970年代のムーブメントの中核を担ったのは“渡辺スクール”の門下生たちだった。1972年1月にケニヤを訪れた渡辺は、アフリカの音楽に共感。以来、独自のアフリカン・フレイヴァー・サウンドを追求する。その出発点になったのが本作で、曲名はすべてスワヒリ語。アルバム1枚分をわずか3時間で録り終えたことをみても、アイデアと気力に溢れていたことがわかる。ギタリストにフリージャズの先駆者・高柳昌行を起用。タイトル曲で渡辺はソプラニーノを吹いている。
6. Sky/日野皓正 (from『Journey into My Mind』1974)
渡辺貞夫と並び立つ“日本ジャズの顔”日野皓正。1960年代からジャズの枠を超えるスターだった日野は、名声を捨てすべてをリセットしようと活動拠点をニューヨークに移すことを決意。その置き土産として本作がつくられた。タイトル曲はレギュラーリズムセクションに宮田英夫(ts)を加えたクインテット編成。日野のアイデアで埋めつくされたサウンドは独自のもので、世界を見渡しても似たものがない。この時代の日本ジャズは高いオリジナリティを備えていたが、まさにそれを象徴する音だ。日野は1977年ごろからフュージョンに接近し、その後も自己変革をつづけている。
7. 流氷/日野元彦カルテット+1 (from『流氷』1976)
10代のころから天才と呼ばれ、日本随一のドラマーとして実兄・日野皓正を支えた日野元彦。本作は、兄の渡米を機に自身のバンドを結成した日野が、根室のファンの前で繰り広げた熱演をライブ録音したものだ。21歳の清水靖晃、22歳の渡辺香津美、25歳の井野信義のレギュラーカルテットに29歳の山口真文をゲストに迎えた「+1」構成で、若々しくエネルギッシュなプレイは歴史に残る名演と言っていい。スケールの大きな曲想のタイトル曲は、日野がこの日のために書き下ろした。1999年没。
平 野 暁 臣
〈Days of Delight〉Founder/Producer
品番:MHC71
定価:¥2,500(+tax) |