《 魂のサウンド 》
新たに船出するレーベルにとって、門出を飾るアーティストは“レーベルの顔”。1970年代に日本ジャズの飛躍を担った〈East Wind〉や〈Three Blind Mice:TBM〉は、それぞれ菊地雅章、峰厚介を起用して鮮烈なデビューを果たしました。いずれも高い演奏水準に加えて、レーベルのスピリットをみごとに体現しています。
〈Days of Delight〉の第一弾は日本ジャズ界の至宝・土岐英史。1970年代前半から半世紀にわたってシーンのトップに君臨するレジェンドにして、いまも圧倒的な存在感でファンを魅了する現役バリバリのプレーヤーです。
土岐さんは1950年生まれの68歳。1970年に上京してプロになるとすぐに頭角を現し、1975年には25歳でTBMからリーダーアルバム『TOKI』をリリース。以来、だれもが認めるトッププレイヤーとしてジャズ界を牽引しつづけてきました。
自身のバンド活動はもとより、1979年には〈松岡直也とウィシング〉の一員としてモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。1985年からは山岸潤史とともに〈チキンシャック〉を結成するなど、フュージョンシーンでも活躍します。
他ジャンルのアーティストにも惜しみなく力を貸してきました。なかでも30年におよんだ山下達郎のサポートは有名で、ライブアルバム『Joy』での名演はいまも語り草です。
そんな土岐さんのリーダー作はおよそ30枚。参加アルバムにいたっては、なんと400枚を超えています。
そんなにあるなんて! いったいなにを聴けばいいの? そう思われたとしても心配は無用。
「最新のポルシェは最良のポルシェ」。クルマ好きがよく口にする“格言”ですが、おなじ理由で「最新の土岐英史が最良の土岐英史」だからです。
土岐さんはこれまでも、そしていまこの瞬間も、たえず進化をつづけています。けっしてレトリックではありません。日々の現場で、日夜試行と格闘を繰り返しているのです。
アルバム制作をオファーしたとき、土岐さんが口にした唯一の条件は「レギュラーバンドでやる」ことでした。最近の彼は、今回のレコーディングメンバーでライブを積み重ねています。都内のジャズクラブを転戦し、地方のツアーを行いながら、千本ノックのように、おなじメンバーで土岐サウンドを磨きつづけているのです。
「ひとり一人がエゴを捨ててバンドのことだけを考えている。みんなでひとつ。だからメンバーのソロがまるで自分のソロみたいに感じるんだよ」。
土岐さんはぼくにそう言ったあと、こう付け加えました。「長くやっていれば、もちろん良いときも悪いときもあるよ。でもね、悪いときこそチャンスなんだ。そこにはかならず飛躍へのヒントが隠れているからね」。
信頼するメンバーとともに“自分の音”を磨きつづける彼の音楽観がよくわかる言葉です。それは自ずと現場の音に発露します。
スリリングなフレーズ、艶やかな音色、圧倒的な音圧…。土岐英史の音にはたくさんの魅力があるけれど、聴き手の精神をもっとも深いところでグリップしているのは、おそらく演奏に見え隠れするこうした求道的な姿勢であり、それが醸し出す上質の緊張感ではないかと思います。
メンバーはいずれもリーダークラスのミュージシャンたち。文句なしの実力派です。
市原ひかりは自身のリーダー作が8枚を数える第一線のトランペッター。「彼女にはリーダー目線がある。バンドが次にどう動くかがわかるんだ。それに一緒にリフを吹くとピタッと合うんだよ、ひとつの楽器みたいにね」。
バークリー音楽大学で学び、ジュリアード音楽院に進んだ片倉真由子は、いまもっとも忙しいファーストコール・ピアニスト。ズバ抜けた実力に加えて、バンドへの貢献を真っ先に考える音楽づくりへの姿勢に、土岐さんは絶大な信頼を寄せています。「サイドマンとして役に立ちたい。バンドにいいものを提供したい。リズムセクションに徹する幸せを私は噛みしめている」。そう語る彼女には、今後さらなる飛躍が待っていることでしょう。
佐藤“ハチ”恭彦はトップミュージシャンから引っ張りだこのベーシスト。「彼は発想が自由なんだ。普通はそうする、みんなそうしている、という決まった演り方をしないんだよ」。プロに愛される秘密を、土岐さんはそう教えてくれました。
中学生で本多俊之バーニング・ウェーブに迎えられ、24歳から19年にわたってニューヨークで活躍した奥平真吾は、世界が認める日本屈指のドラマー。自身のバンド〈The New Force〉の活動の傍らで、数々のセッションを支えています。土岐さんはひとこと「彼がいるとね、“大魔神が来た”って感じなんだよ(笑)」と言いました。奥平さんのポジションと存在感の大きさがよくわかります。
レコーディングではあえてセパレートブースを使わず、全員が同部屋で演奏しました。
「みんなとおなじ空間に立って、彼らが出す音を直接聴きたいんだ。ヘッドホン越しではなくね」。それが土岐さんの意向だったのです。
ジャズが隆盛を極めた1950〜60年代には当たり前だったこの方法は、いまではほとんど見ることがありません。それぞれのマイクに他のプレーヤーの音が混ざるので、音づくりが格段にデリケートになるうえに、個別の録り直しがむずかしいからです。
リスクをとってこの方法を選択した結果、ライブ感に満ち、ジャズ本来の音がするアルバムになりました。塩田哲嗣のすぐれた録音技術に加えて、一発勝負でレコーディングに臨んだミュージシャンたちの緊張感と一体感が音に表れているからです。
収録した8曲はすべて土岐英史のオリジナル。市原ひかりのフリューゲルホーンをイメージして書いた「Lady Traveler」、片倉真由子のピアノを思い描いた「Little Phoenix」、佐藤恭彦のベースと奥平真吾のドラムが織りなす強力なグルーヴを想定した「845」など、土岐さんの曲はこの仲間たちと音楽をつくる喜びに溢れています。
アルバムのタイトル曲「Black Eyes」は、一転して岡本太郎がモチーフです。
「顔は宇宙だ。眼は存在が宇宙と合体する穴だ」。
太郎はそう言って、ギョロっと見開いた眼を繰り返し描きました。晩年になると、ついに画面はほとんど眼だけになります。眼はいきものの証。“いのち”を描き描つづけた太郎にとって、眼は特別な意味をもつモチーフなのです。
“黒い眼”は、太陽とならんで岡本芸術の象徴です。土岐さんはそれを直観でつかみ取り、美しい曲に結晶させました。芸術にかける決意、静かにたぎる情熱、秘めた闘志、なにより常識や権威と闘った岡本太郎の孤独がみごとに表現されています。
録音のあと、サイドマンとして土岐さんと10年をともにしてきた市原ひかりがぼくにこう言いました。
「土岐さんの“音”はインゴットのようなもの。普通は気泡が入るんです。でも土岐さんの音には一音一音に意味があり、人生のすべてが詰まっている。音に魂が宿っている。技術だけであの音は出せません。すぐれた芸術とおなじ。だから一音一音が心に響くんです。10年となりで吹いているけど、いまだにうまくブレンドできているとは思いません。でも10年後にはビタっと合うはず。それを信じてやっています」。
芸術にかける決意、情熱、闘志、孤独…。土岐さんの音を特別なものと感じるのは、そこに芸術家・土岐英史の生き方が見え隠れするからなのかもしれません。
このアルバムは土岐英史クインテットの“いま”をストレートに、ヴィヴィッドに記録したものです。我が国最高峰のサウンドをどうぞお楽しみください。
平 野 暁 臣
〈Days of Delight〉Founder/Producer
2018.7.23-24録音
品番:DOD-001
定価:¥2,500(+tax)
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