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days of delight

After Dark/土岐 英史 + 片倉 真由子

2019.11.6 発売
AfterDark

《 凛としてあたたかく 》


いつかかならず土岐英史と片倉真由子のデュオアルバムをつくろう。そう心に決めたのは、ふたりの対話≠はじめて聴いたときのことでした。場所はレコーディングスタジオのコントロールルーム。レーベル第1弾アルバム『Black Eyes』の制作準備の一環で、ふたりを招いてテスト録音を行なっていたのです。
「なんて美しいサウンドなんだろう」。打ち合わせもなくはじまったセッションはじつにあたたかく濃密で、美しい緊張感に満ちていました。空間を覆う不思議な包容力は、バンドメンバーとしてともに研鑽を重ねてきた者だけに許されるご褒美のようなものなのでしょう。互いへの信頼とリスペクトがつくり出す音には歓びが溢れていて、聴き手を幸せな気持ちにしてくれます。
このふたりの対話はぜったいに遺さなければダメだ。反射的にそう思いました。
のちに調べて驚いたのは、土岐さんはこれまで30枚におよぶリーダー作品を送り出してきたにもかかわらず、ウォーレン・スミス(perc)との即興演奏をダイレクトカッティングの45回転LPで記録したものを除いて、デュオアルバムをまったくつくっていないこと。生半可な企画では土岐さんは首を縦に振ってくれないでしょう。
 『Black Eyes』のレコーディングから2ヶ月が過ぎた2018年9月25日、ぼくは土岐さんと片倉さんを岡本太郎記念館に招きました。太郎の小さなアトリエで、小さなライブを行うためでした(この日の演奏動画を〈Days of Delight〉の公式サイトで公開しています。どうぞご覧ください)。
 岡本太郎が42年間にわたって絵を描きつづけたアトリエは、いまも往時のままに冷凍保存されています。「まだ太郎さんが生きてらっしゃるみたい」「いまにも太郎さんがやぁ!≠チて出てきそう!」。来館者がそう感じるのは、この純度100%のTARO空間には生々しい気配が佇んでいるからです。
 たとえ意識はしていなくとも、皮膚感覚でつかみとった体感情報は確実に脳に送られています。この特別な場所を媒介にして、アートとジャズというふたつの芸術のあいだでなにかしら化学反応が起きるかもしれない。そう考えてライブを企画したのです。
 演奏が終わったあとの取材で、土岐英史はこう言いました。
「最初に太郎さんのアトリエで演奏するって聞いたときは、正直〈えっ!?〉ってビックリしたけど、今日実際にやってみたら、意外に音が良いので驚きました。普段演奏している場所とは空気がまったく違うでしょう? でも、演奏していてすごく楽しかったんですよ。またやりたいなあ」。
 おなじく出演してくれた峰厚介も「自分の思っていたとおりの音が出たので、演奏していてじつに気持ちよかった。なんでだろうね?」と応じます。
 天井が高く、壁面を埋める絵画作品が吸音材の役割を果たし、はからずもすぐれた音場になっていることに加えて、やはり特別な空気感が作用しているのでしょう。
 「またやりたいなあ」。土岐さんのこの言葉を聞いて決心がつきました。「土岐英史のデュオアルバムを録るならここだ!」。そう啓示があったような気がしたのです。

 気になったのはピアノでした。コンサート用のグランドピアノなどではなく、もはや骨董品というべき70年前のアップライトピアノだったからです。レコーディングに耐える代物ではないと考えるのが常識でしょう。
 でもピアノを弾くのが好きだった太郎があえてアトリエに置き、創作の合間に楽しんでいた愛用のピアノです。アトリエで録音する以上、このピアノ以外は考えられません。太郎のピアノ≠ノは楽器としてのパフォーマンスとは別次元の意味がある。なにより片倉真由子本人がこのピアノを弾きたいと言ってくれたことで、腹が決まりました。じつはライブのあとで「古いアップライトでごめんね」と詫びると、彼女は即座にこう応えてくれたのです。
「とんでもないです! わたし、あのピアノ、大好き! すごくジャズに向いているピアノだと思いました。もちろんコンサート・ホールとかのピアノは素晴らしいけれど、このピアノには別の魅力があるんですよ。なんか、あったかいし。弾かせていただいて、とても幸せでした」「私はずっと太郎さんのファンだったんです。アメリカにいたときも、太郎さんの言葉にどれほど勇気づけられたことか。まさかこんな機会をいただけるなんて夢にも思わなかったし、太郎さんのピアノを弾かせてもらえるなんて信じられなくて…」。
 デュオアルバムのレコーディング当日、アトリエに響くあたたかい音色に包まれながら、ぼくは彼女の言葉を思い出していました。「このピアノには別の魅力がある」「なんか、あったかい」。西部劇の酒場のピアノのような日常感・生活感のある音には、彼女が言うようにコンサートピアノとは異なる魅力が潜んでいるのです。
このピアノは与謝野(鉄幹・晶子)家から太郎に贈られたもの。これを弾く太郎を写真家・土門拳が撮影したのが1950年ですから、太郎は南青山にアトリエができる前からこのピアノとともに暮らしていたことになります。
1908年設立のSteinberg Berlin社製で、鍵盤を製作した職人による「18 Aug 24」とのサインがあることから、おそらく1924年製。日本で確認されているのはグランドピアノ3台、アップライトを含めても10台に満たないといわれるメーカーの貴重なピアノです。
しかし太郎の晩年からは弾く者もなく、およそ30年にわたって放置されていました。満足に音が出ない状態だったものを修復したのが2015年。はじめて本格的な演奏を行ったのが上述の2018年9月のライブで、弾き手は片倉真由子でした。

 


 「次はなにを演る?」。曲も決めず、リハーサルもせずにはじまったレコーディングは、リラックスしながらも凛とした上質の緊張感に満ちていました。やはり市中のスタジオとはなにかがちがう。その場に立ち会えた幸運に感謝しながら、ぼくはそんなことを考えていました。
収録したのは、土岐さんの名曲「After Dark」を除いてスタンダードばかり。ふたりのフェイバリット・ナンバーもあれば、ぼくのリクエストに応えてくれた曲もあります。アルバムの最後を飾る「Lover Man」は、土岐さんが片倉さんの亡父首藤昇氏に捧げたもの。アルトサックス奏者だった氏へのリスペクトとともに、レギュラーメンバーとしてバンドを支える彼女への土岐さんの親心が注がれています。
 「お疲れさまでした!」。収録が終わって駆け寄ると、土岐さんは笑顔でぼくにこう話しかけてくれました。「いやー、楽しかった! やっぱりここの空気は特別だよね。スタンダードは久しぶりだったけど、それも楽しかった。なにしろ一緒に演ったのが真由子ちゃんだからね。なんていうかな、熱量が揃うんだよ、相手が彼女だと。またやろう!」。土岐さんの奏でる一音一音に穏やかであたたかいフィーリングを感じるのは、彼自身の歓びが込められているからなのです。
 一方の片倉真由子も、「不思議! ピアノがどんどんわたしに馴染んでくるの。だからとっても弾きやすかった。出る音がイメージに近いおかげで、演奏に没頭できました」と嬉しそうに言います。少し前まで錆びついていたピアノが生き生きと躍動する様を眼のあたりにして、ぼくは心から感動しました。
 偶然を含むさまざまな条件が織りなすことで生まれたこのプロジェクトは、すべてが一期一会。1回限りであるがゆえに、サウンドに特別な臨場感が付与されたのでしょう。土岐英史、そして片倉真由子の新たな1ページをどうぞお楽しみください。

 

-------------------------------------------------------------------平 野 暁 臣  〈Days of Delight〉Founder/Producer

 

品番:DOD-004

定価:¥2500(+tax)

土岐英史+片倉真由子『After Dark』トレーラー

https://www.youtube.com/watch?v=lkydMpeaKfY

 

土岐英史+片倉真由子「枯葉」Full

https://www.youtube.com/watch?v=PaG94y4JuoY

 


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