シズルを醸し出すのは「生々しい空間」と「躍動する時間」です。
だから、ライブパフォーマンスであれ、ディスプレイであれ、ぼくたちはこの二つをつくり出そうといつも四苦八苦しています。そのイベントを唯一無二の体験にするために、空間の演出を工夫し、時間の演出に悩むわけですね。
ところが、まぎれもなく空間メディアでありながら、ひとつだけまったく逆の価値観でつくられている施設があります。「生々しい空間」にも「躍動する時間」にもほとんど興味を示さず、無色無臭でありたいと願いながらひたすら押し黙っている情報空間…。
美術館です。
白く塗られた四角い部屋、均質で静的な構成、固定されて変わることのない光…。あくまでニュートラルでスタティック。なにも変わらず、なにも動かない。
多くの人にとって、美術館のイメージはこんな感じではないかと思います。最近になって個性的な美術館も登場しはじめていますが、 “標準仕様”から抜け出た美術館はいまもほとんどありません。
もちろんこれにも理由があって、「美術館とは世界を流動する芸術作品が一時逗留するホテルのようなものだから、ニュートラルなハコの方が都合が良いのだ」という事情もあるでしょうし、「美術館は一点一点の作品を観賞する場所であって、それ以外のことは必要ないし邪魔なのだ」との考えもあるでしょう。
確かにそうかもしれません。その考えを否定はしないけれど、まったく別のアプローチがあってもいいはずだ。ぼくは密かにそう考えていました。
「時間の感覚」をもった美術館。「空間の感覚」をもった美術館。「対話の感覚」をもった美術館……。
つまりはシズルのある美術館です。
幸いそれにチャレンジする機会が訪れました。1999年に開館した川崎市岡本太郎美術館です。プロジェクトが始動したのは、その数年前のことでした。